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適格請求書(インボイス)登録番号 T3390002014312 |
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会社概要
![]() ![]() ●初代の佐藤ぶどう酒の創業者・佐藤友弥の写真(左)です。私から見ればひいじいちゃんです。右の画像は写真の中入っていた厚紙です。大日本帝国陸軍歩兵、旭川二七・・・・と書いてあります。大正八年春撮影と書いてありました。西暦に直すと1919年です。第一次世界大戦の後の写真だと思います。 ●この20年後の1940年に佐藤ぶどう酒を創業した方です。親戚一同から莫大な借金をして、果実酒の製造を始めたと親父から聞いています。 ![]() ![]() 1950年ごろの自家ぶどう畑の前で取られている写真です。真ん中が創業者の佐藤友弥です。 右が2代目佐藤友弥です。私から見れば祖父です。左の方は古い親戚にも聞いてみましたが、わかりませんでした。カラーの写真は現在の代表取締役の佐藤アサ子です。自分からみれば母親です。工場に隣接している実店舗で毎日、販売当番をこなしています。
経営理念・祖父・父親の思い 経営理念というと固く聞こえますが、約40年前、祖父と父親は3つのことについてよく、TVを見ながらお互い晩酌をし、私(和洋少年)のいる前で経営や契約農家さんの話していました。 ①山形県産ぶどうを100%使用し、山形県民に愛されるワイナリー、そして、ワインを飲んでもらうような仕組み作り。地域活性化 ②契約ぶどう栽培者の収入を上げ、共存共栄できる仕組み作り ③山形県を日本のワイン銘醸地へ、そして世界へ ①②は理念。③は目標といいますか、夢ですね。 祖父と親父は意外といったら、失礼ですが、ブランディングを 考えていたんですね。契約農家のことをいつも考え、大事にしている様でした。 ![]() ●農家は自然の影響が大きいので収入が安定しない、だから後継者が減る、そして耕作放棄地が増える。のような報道がありますが、祖父が良く話してくれたのは、農家の家に生まれた子供は、親が(農家本人)が苦労してるから、子供に『農家をしないで、勉強して公務員なれ」と『子供に後継の意思があっても、あえて継がせないんだ」と言っていました。今のような耕作放棄地が増えているの状況は必然だったということです。当時の和洋少年にはほとんど理解が出来なかったですが。 ●当時はインターネットは無かった時代なので、メディアと言ったらTVが中心でした。プロレスが観たい祖父とプロ野球を観たい親父。経営のことよりもリモコン権でケンかしてました。幼い和洋(かずひろ)少年にもなんで?と思ってましたが、私も先日GW中に、14歳の子供とTVのリモコン券でもめました(笑)血はあれそえませんね!! ![]() ●現在、佐藤ぶどう酒の売上の90%以上は山形県内です。しかも原料は山形県産100%。その点は亡くなっている、祖父や父親にはどう映っているのだろう?ときにしてます。 ●契約農家さんの収入問題ですが、30年まえからみればぶどうの原料代は、倍近くに上がっています。しかし、30年前が低かったので、現在のぶどうの値段が高いとはいえません。どんどん付加価値の高い商品を造って販売していかなければと考えています。 ●山形県を世界の銘醸地へ、は着実に進んでいます。コロナの影響でかなり、スピードダウンしましたが・・・私の代では難しいかもしれません。でも駄目なら次の世代へ良いバトンを渡したいです。 特定商取引法に基づく表示及び個人情報保護の為行動指針 ![]()
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お問合せ先:有限会社佐藤ぶどう酒 山形県南陽市赤湯1072-2 TEL/0238-43-2201 FAX/0238-40-2538 |
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